考え、感じたこと

何度も考えているがなぜ働くのか?こんなにめんどくさい思いをして、嫌味を聞いて悩んだりやメンタルを削って働くのか?

そもそも自分はこの仕事が好きなのか?大学にいた時の先生はすごく楽しそうにこの仕事を語っていたのに。資格を取って同じ仕事に就いたのに楽しい?なんも面白くない。

 上司からは「理想と現実のギャップを感じているのはストレスになっているんじゃないか」とプチ面談で話される。納得した。

自分のスタンス、憧れは「生活で困っている人を少し工夫して困りごとをクリアする。本人がやりたいことを一緒に解決する。」それこそがこの仕事の、資格のスタンスだと思う。

 フォークダンスが好きで90になっても通っている人を担当した時は手の怪我だったけどフォークダンスのステップを踏む練習をしてみた。そしたら他職種の主任が「治療になるんか。意味あるんか。機能を良くした後の話だろ。カルテに書けるの?」なんてね。

もうね。何もこっちのスタンスを知らないのに口出しされるのめっちゃ萎えた。そっから仕事をすることに息苦しさを感じて過ごすことになる。

 学校で学んだこの資格を持つ人の理念や考え方、憧れた先生を全て否定されてめちゃくちゃ悔しかった。急性期医療だから生活やその人が大切にしていた事よりも機能を向上させないといけないことはよくわかるさ。

 でもさ、退院の調整がつかないで2ヶ月も病院に閉じ込めれて入院前まで自転車に乗ってた人が体力落ちてフラフラ歩く姿。手の怪我の治療よりもそっちなんじゃないの?『退院したらフォークダンスなんてできる体じゃないから諦める』なんて言ってる人なんだよ?

医療側がその人の作業剥奪して、機能だけ上げて帰った所でその人にとって何も残らないじゃん?

 でも、そんな事を多く経験して自由にやれなくてつまらないって理由で仕事を辞めることもできない。収入が滞りながら生活する勇気もない。何が解決策なのだろうか?

 徹底的に作業療法としての効果を、結果を出して自身のやっていきたいこと+今の職場のくそみたいな作業療法士像を演じながらも徐々に作業療法士像を変えることはできないんだろうか?ここを追求することで何か見えてくるのかもしれない。

 評価方法を勉強して、もう一度カナダ作業モデルなどの概念を勉強して、その考えの元に結果を分析して結果を示していきたい。

改めて認識したよ。俺は今の職場での作業療法士像はすごく嫌い。でも嫌いだから職場を変える事はできない。

作業療法の考え方で大好きな考え方があって、人間って[環境⇔心、自分⇔作業]の関係でできているのね。環境が変えれないのであれば作業を変える。作業が変わると心や自身が変わる。 心や自分が変われば環境や作業も変わる。

 俺は自身の作業を変えて環境は変えれないと思うけど何か影響を与えて仕事が好きって心になりたい。